自分の人生観を大きく変えた出来事…パート3
2010.9.7.
2004年(平成16年)7月13日 午後1時15分 五十嵐川堤防決壊
北海道に出張しており、その日の午後、新潟空港に着くと、待合室の大型テレビの前に人だかりが…なんと、地元三条市の五十嵐川の水が土手より溢れてる場面。
慌てて、自宅に電話すると、凄い雨だったが、今のところ特別被害はないとの返事で一安心した。
その後、状況は一転し午後4時頃には、我が家は床上40センチくらいに…。
自分が自宅近くまで来たときには、全ての家が水の中だった。胸まで水につかりながら、ようやく我が家にたどり着いた。
三条市の嵐南地区を中心に、約一万一千棟、約七千五百世帯に被害をもたらし、死者9名、重軽傷80人という大惨事になった。
我が家も、まる三日間水に浸かった。もちろん、電気、ガス、水道はストップ。
我々は2階で生活していたので、衣類等は無事だったが、1階に生活していた母のものは、思い出の写真も含めて全て失った。
この「7.13水害」は失ったものも計り知れないが、お金に換えることの出来ない、学ぶことも本当に多かった。
三日目の朝、途方に暮れていたら、青年会議所の後輩が「作りたてのあったかな赤飯」を
いっぱい持ってきてくれた。
また、会社の従業員のご両親様が、「あったかな味噌汁」を届けて下さった。
そして、日頃母がお世話になっている介護施設の方が、「ペットボトルの水」を持って来て
下さいました。
「あったかな赤飯」を一口食べて、思いたった。
お隣に、小さなお子さんがいるんで届けようと…
その後、多くの方々から、お見舞を沢山頂きましたが、「あったかな赤飯」「あったかな味噌汁」「ペットボトルの水」の心温まる好意は、生涯忘れません。「心から感謝」
本当に困ったとき、力になってくれたのは、子供達でした。
一番に駆けつけてくれたのは、子供達でした。
連日の重労働。泥水に浸かった畳は、大人4人でやっと持てるくらいに重かったです。
泥水に浸かった品物全てに思い出があり迷っていると、子供達がみごとに、一つ残さず
処分をしてくれました。
子供達のその「決断力」と「すばやい実行力」があったからこそ、我々は地域で
困っておられる方々への手助け(協力等)や地域の皆さんが一斉に出されたゴミの
対応策等ができたように思います。想像を絶するゴミの量でした。
思いがけないプレゼントが届く
一ヶ月が過ぎたある日、宅急便が届いた。
笠間で「あじさい工房」を経営されている、谷口榮以子さんから手紙を添えて「夫婦茶碗」が
届いた。
ニュースで水害にあわれたことを知り…気持ちだけですが、使って頂けたら光栄ですと。
実は、水害にあう何年も前に笠間市を訪れたときに、「あじさい工房」で先生の作品と出会い、
何点か買ってきたことがあった。
その時、先生にあうことは出来なかったが、店員さんの接客対応があまりにも素晴らしく、
帰宅後、先生に感動したとハガキをだしたことがあった。
あったかなプレゼントに、胸が熱くなった感動は、今でも鮮明に覚えています。。
頂いた夫婦茶碗です
購入した先生の作品です
谷口榮以子様のホームページです。先生のご恩は生涯忘れません。
http://www.aoihana.com
2004年(平成16年)7月13日 午後1時15分 五十嵐川堤防決壊
北海道に出張しており、その日の午後、新潟空港に着くと、待合室の大型テレビの前に人だかりが…なんと、地元三条市の五十嵐川の水が土手より溢れてる場面。
慌てて、自宅に電話すると、凄い雨だったが、今のところ特別被害はないとの返事で一安心した。
その後、状況は一転し午後4時頃には、我が家は床上40センチくらいに…。
自分が自宅近くまで来たときには、全ての家が水の中だった。胸まで水につかりながら、ようやく我が家にたどり着いた。
三条市の嵐南地区を中心に、約一万一千棟、約七千五百世帯に被害をもたらし、死者9名、重軽傷80人という大惨事になった。
我が家も、まる三日間水に浸かった。もちろん、電気、ガス、水道はストップ。
我々は2階で生活していたので、衣類等は無事だったが、1階に生活していた母のものは、思い出の写真も含めて全て失った。
この「7.13水害」は失ったものも計り知れないが、お金に換えることの出来ない、学ぶことも本当に多かった。
三日目の朝、途方に暮れていたら、青年会議所の後輩が「作りたてのあったかな赤飯」を
いっぱい持ってきてくれた。
また、会社の従業員のご両親様が、「あったかな味噌汁」を届けて下さった。
そして、日頃母がお世話になっている介護施設の方が、「ペットボトルの水」を持って来て
下さいました。
「あったかな赤飯」を一口食べて、思いたった。
お隣に、小さなお子さんがいるんで届けようと…
その後、多くの方々から、お見舞を沢山頂きましたが、「あったかな赤飯」「あったかな味噌汁」「ペットボトルの水」の心温まる好意は、生涯忘れません。「心から感謝」
本当に困ったとき、力になってくれたのは、子供達でした。
一番に駆けつけてくれたのは、子供達でした。
連日の重労働。泥水に浸かった畳は、大人4人でやっと持てるくらいに重かったです。
泥水に浸かった品物全てに思い出があり迷っていると、子供達がみごとに、一つ残さず
処分をしてくれました。
子供達のその「決断力」と「すばやい実行力」があったからこそ、我々は地域で
困っておられる方々への手助け(協力等)や地域の皆さんが一斉に出されたゴミの
対応策等ができたように思います。想像を絶するゴミの量でした。
思いがけないプレゼントが届く
一ヶ月が過ぎたある日、宅急便が届いた。
笠間で「あじさい工房」を経営されている、谷口榮以子さんから手紙を添えて「夫婦茶碗」が
届いた。
ニュースで水害にあわれたことを知り…気持ちだけですが、使って頂けたら光栄ですと。
実は、水害にあう何年も前に笠間市を訪れたときに、「あじさい工房」で先生の作品と出会い、
何点か買ってきたことがあった。
その時、先生にあうことは出来なかったが、店員さんの接客対応があまりにも素晴らしく、
帰宅後、先生に感動したとハガキをだしたことがあった。
あったかなプレゼントに、胸が熱くなった感動は、今でも鮮明に覚えています。。
頂いた夫婦茶碗です
購入した先生の作品です
谷口榮以子様のホームページです。先生のご恩は生涯忘れません。
http://www.aoihana.com
2010-09-07 17:56
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